蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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内省・俯瞰・潜考

語学学習は不要なのか

語学はもう要らないと言う人がいる。私は実はそうではないのではないかと思っている。特にほんのちょっと先の未来を生きる人々にとっては。 日本人はきっとこれから少数になっていく。そして日本語話者が減る。一方、機械翻訳は高性能になる。スマホや近未来…

あやふやになる恍惚

知らない土地で、ひとり過ごすのが好きだ。知らない土地で、ひとり歩くのが好きだ。ひとりであることを実感するのが、とてもとても好きだ。 知らない土地で過ごすことが好きなのはきっと、人としてあやふやになる瞬間と、それが続く時間を味わうのが好きだか…

先回りと最適化の予想

嫌いなもののひとつに「知ってたらできたし当然やっていたであろうこと」を後出しで追加指示される、ということが挙げられる。 後出しが好きという人はいないと思うが、人それぞれ理由は違っているはず。私の場合は自分の頭で考えられたはずの事案に対する機…

尊敬と目指してない感

自分が「尊敬する人」と「目指す人」は違う。 つまり尊敬しているからといってその人を目指しているわけではないし、その人のような在り方を目指しているけれども実は尊敬はしていない、みたいなことが普通である。もちろん、尊敬しているし目指している人も…

理論のつまみ食いと交配

いろいろな理論を掛け算したり応用したりすることが好きなのだけれど、そういう姿勢をよく思われないこともたまにある。研究者でも専門家でもない素人の立場で分野横断的な工夫をしてみたいと言うと、つまみ食いとして害悪のように受け取られることがある。 …

自分のイデオロギーが誰かを殺す

善良なだけで「よい人」と呼ばれる時代ではなくなった。善良かつ社会的な感度が高いことが求められる。また、いままで「よいこと」とされていたことも、今では形を変えてしまった。かつて善良であったはずの人たちは、自分たちが善良であるという本人の意識…

風情と浅ましさと自分の中の矜持

ある冬の話。高めの塀に囲まれた他人のおうちの庭に咲いている花を見た。 てっぺんがちょろっとだけ見えて、きれいだなと思った。風情がある、という表現がぴったりの様子で。よく手入れされていて、愛情がかけられている枝ぶりがわかる。このお宅の方が自分…

高齢者福祉への興味

今は子どもの福祉よりも高齢者福祉に強い興味がある。老い先が短い高齢者よりも子どもの福祉を手厚く、という向きもある。理屈から言っても感情から言っても、なんの反論もない。逆説的ではあるものの、だからこそ高齢者福祉が気になるのだ。 親になれば、子…

歪めずに手渡すこと、受け取ること

対個人として誰かに接する時に必要なものは、抽象論ではなく顔と顔、肌と肌を突き合わせた五感の開放なのかもなと思う。一方、文化や価値観を含むバックグラウンドを語る際に必要なものは、本質やそのエッセンスの抽出と共有なんじゃないかと。 事実だけを見…

表現の脅迫

少し前まで、「表現に脅迫される」という表現に脅迫されていた。 いや、単に自分でそういう言い方をしているだけなんだけど、それにしても脅迫という言葉が相応しいくらいに考えさせられていた。言語化という表現方法を取る時にも、常に表現からの脅迫を受け…

スキルと個性、その評価

その人にとって自信のあるスキルでも、母集団が変わると評価の対象にならない場合がある。ざっくりとわけると、以下の2点になるのかな。 母集団の中に、自分よりさらにスキルが高い人しかいない場合 母集団の中で、そのスキルが求められていない場合 その現…

自分の毎日をハックする

意識して眺めてみると、自分の毎日をハックしてる人たちがたくさんいることに気付く。そういう人たちは表に向かって声を上げることより、自分たちの毎日をひたすら(前向きに)ハックすることにエネルギーを注いでいる(ように見える)。 私の価値観では、他…

「作ってもらう」側の人間

どんな仕事をしていても、作ってもらう側の人でなくなることはありえない。作る人であるという自負が強くなると、それを忘れてしまう。作る仕事をしているなら、そのことに自覚的であった方がいいのではないかと思う。 チームで自分の手の届かない領域のもの…

行動するサイレント・シチズン

普段あまりSNS上で自分の政治信条について詳しく発言することはない。しかしわりと明確かつ強い信条を持っているタイプだという自覚はある。 最近は特に、市民であるか国民であるかの自覚の違いによって、自分の中の政治信条が大きく二分されていると感じる…

同時代性と文脈

ある時代の文脈を救い取ろうと必死だった世代と、もうそれがそこにあって当たり前の世代とで断絶がある。だから人は同時代性に対する特別な感情があるのだし、同時代的な体験を共有したという事実を大事にする。 同時代的に文脈を生み出し補完し翻弄されてき…

人の不安のかたち

自分は相対的に「自分ってものがない人間」だと思って生きてきたのだけれど、他人から見るとそうでもないらしい。とはいえ、何との対比で Relative なのかという話でしかないし、その感じは単なるコンプレックスでしかないのだろうけれど。 なんでこんなこと…

専門家の眼鏡

何らかの分野の専門家がそばにいるというのは、とても貴重なことだ。彼らはみんな、深いところで呼吸をしている。私たちと同じ地面に足を乗せて立っていても、その目線ははるか地平に突き抜けている。 自分があずかり知らない世界のプロが隣でまばたきをする…

演劇的であるということ

演劇的であるということがどういうことか、自分なりに考えている。先日、演劇の世界にいる人の目線をちょっとだけ垣間見る機会があり、それ以後ぼちぼちとそんなことを考えているのである。 私自身は演劇に対してなんの素養もなく、好きではあるけれども熱心…

大人にもアップデートが必要である

石戸奈々子さんの「子どもの想像力スイッチ!」という本を繰り返し読んでいるというか眺めている。 自分がこの本でいちばんおもしろいと感じる部分は、子どもたちは子どもたちのための新しい教育や新しい時代にあっという間に適応して、彼らの未来のために彼…

パワーの源は人それぞれ

人と会うことで自分のパワーを増幅させていく人。人と会うことで自分のパワーを消耗する人。 というような書き方をすると、後者がネガティブに捉えられる気もするけど、後ろ向きな意味でそう言いたいわけではない。どちらも個性であり特性であり、一長一短あ…

暇と可処分時間

私にとっての「可処分時間」は誰かのための「暇」じゃない。同時に、誰かの「可処分時間」は私のための「暇」じゃない。この感覚が理解できない相手と時間を共有するのはつらい。 限りある人生の中で、巡り合ったりすれ違ったり再会したり。それぞれの時間の…

空飛ぶ紫の馬

子供の頃、紫色の馬の絵を描いたことがある。通っていた幼稚園で、絵皿を作る時間だった。自分と自分の好きなものを自由に描きなさいと言われ、私は空想の世界でいたらいいのに、と思う空飛ぶ紫の馬を描いた。 結果、先生に「紫の馬なんていないのよ」と長い…

教養のこと

いろんな場面で、教養ってなんだろうねって話をすることがある。 まだうまくまとまっていないのだけど、何度か話をしていく中で「それは色合いの違う知識や体験が地層のように何層も重なっていく先にあるものなのかもしれない」…というのがしっくりくるよう…

ノンプログラマーがコードを書く必要があるのか問題

ノンプログラマーな職域の人(デザイナーやらIAやらがそれに当たるのかな)が実際コードを書く必要があるのか? という問題について、思うこと。書く必要がある人とそうでない人といると思うし、それを決めるのは本人と環境だと思う。もはや一般論には落とせ…

足を運ぶこと/足を運ばなくて済むこと

手を動かせとよく言うし、まだまだ手を動かし足りないと思うことがある。けれど、今の私にもっとも欠けているのは足だと感じている。足を使うこと。運ぶこと。これが圧倒的に足りてない。 手を動かせる人が現場に行くのが、何より早い。ここで言う現場はオフ…

俯瞰できない自分とアンケートの関係

先日、何かを主体的に楽しんでいる時、その対象については俯瞰できない瞬間がやっぱりあるんだなぁと実感する機会があった。どちらかというと俯瞰的な見方が苦手な方ではないと思うのだが、状況によってはどうしてもそれに徹しきれない瞬間がある。 イベント…

選挙事務所はアジャイルでスクラム

少し前に、選挙事務所はアジャイルだしスクラムだねという話をしていた。きれいに当てはめることはできないのかもしれないが、そういうことなんだなぁと、すごく腑に落ちている。 ごく若い頃、いろいろな縁あって某選挙戦の舞台裏、いわゆる選挙事務所の動き…

集合写真の強要

集合写真に入ることを強要されるシーンについて考えている。 仮に集合写真が大嫌いなX子さんがいるとしよう。X子さんは、そういう機会にはたいがいするっと逃げるのだが、時折そうはいかない場面がやってくる。 人はそれをわがままと呼び、考慮される余地の…

コミュニティのにおい

コミュニティとして「同じことを言っていて」「同じところを目指している」ように見えるのに、「においが全然違う」みたいなことがよくある。それはコミュニティや個人の特性に由来しており、その違い自体は健全だと思う。 においに関しては「いいか悪いか」…

「街の使い方」は「自分の時間の使い方」でもあるのかもしれない

ヨーロッパのある都市に行った時、印象的だった光景。街角にオルガンが置いてあって、学生なのかアーティストなのか、ある男性が夕暮れの時間帯にそれを弾いていた。街の景色にもよく馴染んで、人々もそれが当たり前であるかのように振舞っている。 ヨーロッ…

思考の熟成、カタルシスと解放

話し合ったり思いを口にしたりすることで、カタルシスが得られることがある。 実際に持ち寄った話に結論が出ようと出まいと、話し合ったことによる達成感によって小さくガス抜きされ、アクションを起こすことを忘れてしまう。アリストテレスが説いたカタルシ…

タクシーの車窓

深夜の都内を、タクシーで流すのが好きだ。それは単なる移動手段ではなく、遊離するシネフィルの視点だ。 目の前を過ぎる車窓の景色は、すべて他人ごと。私自身も彼らにとっての他人ごと。なんでもかんでも自分ごととして向き合っていくべき仕事と状況が常態…

パラレル将来の夢

もしも今の仕事やキャリアと違う人生を選べるとしたら、興味ある地域に長期的に滞在して現地調査を行い、民俗学的な研究・検証・比較などをやりたい。伝統工芸なんかも教えてもらいながら。現地の食べ物を現地の人と同じように食べながら。 映画とかでよくあ…

若手感と老害感

昨年は自分の仕事を人に説明しなくてはならない機会がたくさんあった。その中で「いつまでも若手感が拭えない、そのわりにすでにほんのりと老害感がある」ということを言った記憶がある。 自分で言ったものの、老害感ってそもそもなんなんだろう? って考え…

めんどくささに愕然としながら

私が仕事だったり趣味で取り組んでいることは、往々にしてめんどくさいものである。 ただでさえめんどくさいものを、できるだけめんどくさくなく取り扱っていくためにどうするか、という立ち位置に立って仕事やら何やらをしている。と思っている。要するに、…

思考や葛藤に輪郭を与えてくれる人

話しているうちに、輪郭を与えてくれる人がいる。 そんな人は、そうそう多くはいない。話すことで自分の中で整理が付くことはよくあるけれど、自分をくるむ触媒をくるくるとかき回してくれる人は稀である。しかし、確実に存在する。 断片化してしまった思考…

トレーシングペーパーからのとりとめもない飛躍

高校生と呼ばれる年代(正確に言うと高校生ではなく中学生との狭間の時期)の頃にグラスアート工房でバイトしてた時、トレーシングペーパーが欠かせなかった。 中学生の頃からトレーシングペーパーを愛用していたが、それまでは紙から紙に写す使い方しかした…

常識、あるいはコンテキスト

何が常識で何が常識でないのかわからない。そんなものはどうにも無意味で、やっぱり常識なんてわからない。 人材派遣会社で行われた一般常識テストで100点満点を取ったことがある。普通の人は満点を取らないとも言われた。つまり常識テストで満点を取る者は…

無意識に認知あるいは無視しているものを把握する

スケッチのようなことをする機会がたまにある。ワークショップの時やなんかで写真を使えない時に、手元でさっと絵にしたりするからだ。デフォルメして表現してしまうので写実的なスケッチではないものの、写真の代わりに状況がわかるように描かなくてはなら…

ヒトガタの呪縛

Denryoku Label の Kenta Watashima さんと Qosmo の Toru Urakawa さんのパフォーマンスを見ていた時に、VJの映像が幾何学模様の連続だとわかっていても、そこにヒトガタを求めてしまって仕方なかった。 この後ヒトガタになるのか? ならないのか? ヒトガ…

整備されすぎると個が弱る、と彼女は言った

ある信頼するお友達と食事をしている時に、彼女は言った。「整備されすぎると、個が弱るのかもしれない」 思い起こせばその会話をしたのが4月のこと。会社だとか団体だとか雇用そのものだとか、とにかくキャリアにまつわる話をしている時に出た言葉だ。最近…

ファッションは個性なのか

あまり服装に対するこだわりは強くないタイプだと思う。正確には、おしゃれ的な意味でのこだわりは薄い。着心地とか温かさはある程度ゆずれないのだけれども。 「ファッションは自己表現だ」という考え方がある。それはそうだと思う。しかし「ファッションで…

「忙しい」ってなんだろう

先日、人と「忙しいってなんだろうね」という話をしたので、まとまらない予感を感じつつ、つらつらと書き残しておこうと思う。 「忙しさ」にもいろんな視点がある 「忙しい」とか「忙しさ」について書いているブログを探したら、『忙しい人』と『仕事ができ…

選択し続けること

仕事をしていて感じることは、規模や粒度や働き方や仕事そのものが多様化しているなぁということ。当たり前のことなのだが、素朴にそう感じている。 何を見つめてどうやって進んでいったらいいか悩むシーンは多く、生き方そのものという大きなところから、目…

創造性のダークサイドを超えてゆくために

Facebookでたまたま流れてきた話題をきっかけに、創造性のダークサイドという記事があったのを思い出した。人間の創造性は、「不幸」となんらかの関係があるという内容である。 憂鬱な気持ちはなぜ芸術性を高めるのだろうか? これには、情緒と認知の絡み合…

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